第10章|英国時計産業の終章 ―― Smiths の終焉
Smithsの腕時計史は、長く見えても実際にはきわめて限られた時代の物語である。戦前のSmithsは腕時計メーカーというより、時計・自動車計器・航空機用計器を扱う時間計測機器の企業だった。戦後になるとチェルトナムに腕時計製造の拠点を置き、英国製ムーブメントを搭載した民生用腕時計を本格的に展開する。その歩みはDe Luxe、Astral、Imperial、Everest、Automatic、W10、そしてDiversへと続いた。しかしその頃、世界の時計産業はすでに英国にとって厳しい方向へ動き始めていた。
戦後のSmithsは、英国製腕時計を成立させた数少ない存在だった。チェルトナム製の時計は、のちのコレクター資料でも「Made in England」と記される英国製ラインとして区別される。一方、ウェールズのイストラドグンライスでは廉価な"popular grade"の腕時計や懐中時計が量産されていた。つまりSmithsの時計製造は一つの工場だけではなく、戦後の英国市場に対応するため複数の層で展開されていたのである。
しかしこの体制は経済的に厳しかった。チェルトナムでの腕時計製造はブランド認知こそ高かったものの採算は厳しく、輸入時計との競争、資材不足、為替、海外から流入する安価な時計など多くの圧力を受けていた。Antiquarian Horological Societyの研究でも、チェルトナムでの腕時計製造は「作れば作るほど赤字だった」と言えるほど厳しい条件に置かれていたとされる。こうしてモデルやムーブメントを増やしながらも、チェルトナムでの腕時計製造は1971年に終わることになる。
その終わりは突然ではなく段階的に訪れた。1970年9月、Smithsはチェルトナムでの腕時計製造停止を発表し、1971年3月までにそれが実行された。これにより英国内でムーブメント製造から組立までを行う腕時計製造の中心が失われた。
但しSmithsの時計製造そのものが1971年に完全に消滅したわけではない。British Museum に残るAnglo-Celtic Watch Companyの記録によれば、腕時計の生産は1972年まで続き、さらに懐中時計や関連製品の製造は1980年まで継続していた。その年に設備は売却され、Smithsの時計製造は完全に幕を閉じる。つまり1971年は「チェルトナムの英国製機械式腕時計」の終点であり、1980年はSmithsの時計製造の終点に近い年だったのである。
この終焉の背景には世界の時計産業の変化もあった。1969年、セイコーがクォーツ腕時計を発売し、1970年代にはクォーツ時計が急速に普及した。いわゆる「クォーツ危機」により機械式時計産業は大きな影響を受け、時計産業の中心は日本と再編されたスイスへ移っていく。英国はその主舞台から退いていった。
こうしてSmithsの終焉は、一企業の歴史の終わりにとどまらない意味を持つ。それは英国が自国で量産型の機械式腕時計を作り続けた時代の終わりでもあった。戦争のための計器、戦後のDe Luxe、日常のAstralとImperial、国家的象徴となったEverest、英国製自動巻き、軍用のW10、そして終焉期を支えたDivers。これらは戦後英国が時計という工業製品に託した可能性の断片でもあった。
Smithsが残したものは単なるブランド名ではない。現存する時計の多くは、工場資料が失われたあと、実物・広告・コレクターの記録によって歴史が復元されてきた。ケースバックの刻印、文字盤の表記、ムーブメント番号、広告の片隅に残る文言。そうした断片をつなぐことでしか、この会社の全体像には触れられない。
チェルトナムの腕時計製造が終わったあとも、Smithsという名前は企業史の中に残り続けた。だがここで語ってきたSmithsは会社名としてのSmithsではなく、英国で機械式腕時計を作っていた時代のSmithsである。その時代は決して長くはなかった。しかし短かったからこそ輪郭ははっきりしている。戦後に始まり、日常、冒険、軍用、海、そして終焉までを描き切ったのである。
Smithsの腕時計史は、華やかな勝者の歴史ではない。それは、厳しい時代に英国内で機械式腕時計を作り続けようとした挑戦の歴史である。その挑戦は残された時計の中に今も宿っている。山頂まで運ばれた時計、兵士の腕で使われた時計、日常生活の中で巻かれた時計。それらは英国らしい品性、つまりSmithsらしさを纏いながら、変化を恐れず挑戦し続ける中で築かれてきた。目まぐるしく変動する時代の中で挑戦を続けたSmithsの時計は、時代を語る証人であり、それこそが今もなお、その魅力に取り憑かれた人々を世界中に生み出し続けている所以である。